実家
当然実家は、幼い頃から、蜂に限らず色々な動植物に会う多くの機会を与えてくれた。
兵庫県 加古郡 播磨町の住宅地にある実家で、私は2000年の冬まで30数年間過ごした。
中年にさしかかった今は、家の周りを注意深く眺める機会も減り、気持ちも薄れたが、それを差し引いても野生の生物の数は減った。
これは蜂の生態のテーマのページでも話した通りだ。

最近実家の庭で目にする蜂は、フタモンアシナガバチ、クマバチ(これは最近になって)、アカガネコハナバチ等、限られた種だ。

かつては軒下に竹筒のトラップ(といっても捕まえるものではなく、巣を作らせるもの)を仕掛けておくと、色々な単独営巣のタイプの蜂たちが、出入りするようになったものだ。

〈竹筒トラップ〉
私とそういった蜂の、最初の出会いは何の種だったか定かではないが、印象深かったのは、コクロアナバチ。
ジガバチのところで紹介している。
麦わらなど、イネ科植物の枯葉を噛み切り、竹筒に運び込む。
ササキリやツユムシなど、キリギリス科の昆虫を幼虫の餌にするこの蜂は、真っ黒なすがたと、素早い、しずかな飛び方が印象に残っている。
黒い蜂、緑色の獲物、薄褐色の巣の材料、それらのものが竹筒の巣の入り口にすばやく入って行く姿は、小学生の高学年になっていた私の好奇心を、捕らえて離さなかった。

このような、竹筒トラップに出入りする蜂だけでも数多くいた。
コクロアナバチ、ルリジガバチ、ジガバチモドキ、チビハキリバチ、バラハキリバチ、オオハキリバチ、ネジロハキリバチ、オオフタオビドロバチ、ミカドドロバチ、チビドロバチ、オオカバフスジドロバチ、ナガヅツヤヒメハナバチ、記憶に残るものだけでもこれだけいる。

〈地面〉
地面の中に巣穴を掘るものもいた 。
ニッポンヒゲナガハナバチ。
この蜂は早春に現れ、畑のソラマメ等豆科植物の花に群がった。
まず触角の長い雄が出現し、遅れて雌が現れる。

実家は昔、祖父母の住む家と、我が家が二つに分かれており、それぞれに庭が有り、庭木や鉢植えの植物が生い茂り、
地面には適度な湿気と、生き物の気配があった。
我が家には、大きなかえでの木があり、古びた木の垣根で囲まれていた。
その庭の地面にニッポンヒゲナガハナバチが穴を掘った。
地面深く掘った穴を、私は発掘したが、巣部屋の内壁はつるつるになっていて、おそらく、唾液かなにかの分泌物が塗り付けられているのだろう。
その中に粘度の低い花粉と蜜の混合物が蓄えられていた。

そのほかにも庭の地面に、穴を掘る蜂はいた。
植木鉢の土にヒメベッコウの一種が穴を掘った。
ただこれは隣の庭であったので、営巣の細かい観察をした記憶は無い。
やはり、植木鉢の土の中に巣を作るハキリバチがいた。
おそらくバラハキリバチモドキだったと思う。
これも隣だった。
葉を切っては運び込んでいるという、叔母の話を聞きうずうずしたのを覚えている。

〈壁〉
家の壁、垣根などに巣を作る蜂もいた。
サムライトックリバチ。
これはドロバチのページで紹介しているが、我が家の垣根の、苔のついた板に巣をつけた。
狩人蜂の知識などないずっと幼いころから、この土の塊を潰すと、中から青虫が出てくる体験は私の記憶にはっきり残っている。
スズバチ。
これも、ドロバチのページで紹介しているが、家の壁板に泥の塊をつけた。
やはり狩人蜂体験の中で古いものである。

〈屋内〉
壁ないしは屋内といったほうが正確かも知れない
夏場、縁側を開けっ放しにしておくと、ヒメベッコウが出入りした。
巣の材料や、獲物の蜘蛛を運んでいるのは見なかったが、おそらく、屋内の物陰にでも平気で巣を作っただろう。
セナガアナバチ。
これは巣を作らない狩人蜂で、ルリ色の美しい金属色をして、後ろ足の一節は赤い。古めの民家の木製の壁板を、素早く歩く姿はよく観察された。
幼虫の餌はなんとゴキブリなのだ。
麻酔したゴキブリを、隙間に引き込み、産卵するらしい。
体の大きさは個体差が大きい。

〈屋根〉

現在建て直して20年近くになる実家だが、同じ木造でも、改築前はかなりくたびれていた。
屋根は昔ながらの瓦葺きだったが、雨漏りが絶えなかった。
しかし今にして思うと、雨漏りの原因はこれだったのかと思う蜂が存在した。
ヤマトハキリバチ。
ハキリバチのページで紹介しているが、この蜂は石の下の土に穴を掘り、木の葉で巣部屋を作り、花粉と蜜の混合物を蓄え、産卵する。
この蜂の営巣を確認したのは、実は、近所の神社の屋根で、やはり古びた瓦の下の土に穴を掘り、多数の個体が出入りしていた。
実際、自分の家の屋根にこの蜂が巣を作っているのを知ったのは、ずいぶん後のことである。


通学路
通学路といっても、歩いたり、自転車で通学するといえば、小学生、中学生の間だろう。
小学校は、家から子供の足で30分ぐらいかかったろうか。
中学はそれより5分ぐらい近かったが、どちらも喜瀬川という川の近くに建っていた。
〈軒下〉
小さい頃から、内向的で足元の動植物に気をとられた私は、他の誰より色々なものを発見した。
しかし見ていたのは、足元だけではなかった。
当時、今よりずっと木造の家が沢山残っており、旧家や、農家の蔵のような建物の軒下には、色々な蜂が巣を作った。
アシナガバチは、今よりずっと多く、巣の大きさも今より大きかった。
おそらく餌がずっと多く、働き蜂が沢山育ったのだろう。
フタモンアシナガバチはもちろん、今は少しその数が減ったセグロアシナガバチも、軒下や木の枝に大きな巣をつけた。
熟したイチジクの実には、コガネムシや、ハエなどの他にも、セグロアシナガバチが沢山飛来していた。
やはり一番軒下で興味を引いたのは、アメリカジガバチである。
木の壁でも、セメントの壁でもかまわずに巣をつけるこの蜂は、それが帰化昆虫であるとは知らないうちに、私の十分認識するところとなった。
おそらく小学校四年ぐらいの時、初めてこの蜂の巣を見つけ、中に蜘蛛が入っているのをみつけたのが、私の蜂狂いのきっかけだったのかも知れない。
なぜだか、森進一の「おふくろさん」がヒットしていたのが記憶に残っている。
〈軒先〉
軒先という表現が、正しいかどうかは疑問だが、とにかく人んちであろうが何であろうが、蜂がいた。
先の自宅の竹筒トラップのところで話をしたが、畑を作っている人の家には、丸太や竹の竿が小屋なり、その壁なりにかけてあったが、そこに、ドロバチやハキリバチがみている間にも出入りした。
太めの竹筒には、ヒメベッコウが出入りしていた。中に巣を作っていたのだろう。
しかし、さすがの私も、その竿を拝借することはしなかった。
〈垣根
たいてい、小学生の通学は徒歩だと思うが、大体小学生のこと、よそ見もせずにもくもくと学校を目指す子供はいるまい。
とくに私は性格上、きょろきょろ足元や軒下、道端、田んぼ、小川、池、とにかくいき物の気配に対し、敏感だった。
当然道なりに生えている垣根にうごめく蜂を、見逃すはずはなかった。
当時は今より、豊富な植物が垣根を彩った。
山茶花のような、ポピュラーなものから、葵の花など贅沢に植え込まれていたものだ。
その葵の葉を巻く蛾の幼虫をオオフタオビドロバチが狩りをしていた。
オオフタオビドロバチは、竹筒などに、蛾の幼虫を運び込み、子供の餌とする。
蜂の挙動をみると大体営巣行動かどうかピンとくるが、葉を幾重にも綴ったところに惹きつけられ、オオフタオビドロバチの母蜂が止まる。
一方から葉をかみ破り中をうかがう。しかし同じ方からばかり攻めない。
反対側からまた攻める。
だんだんその動きが速くなる。
攻めている方と反対側から逃げ出すのを警戒しているのだ。
とうとう引っ張り出すように、その棲家の住人を捕らえる。
素早く針で刺し麻酔する。
その場での処刑は免れるが、彼女の子供にその腹を食い破られるまで、体のしびれがさめる事はない。